不分離


    ※この話は映画の後半からその後を描いた話です。あの時皆死んだんだよ!て方は見ないで下さい。

 

 

 

 

   「将軍、我々はお側を離れます。戦って死ぬのが男の誇りだとあなたに教わった。あなたの名のもとに
     山を下り突撃し、曹嬰を打ちます。趙雲の兵として生き・・・死しても魂はお仕えします。
     将軍、どうか我々に命令を!」
    一筋涙を流すも静かな表情と声音で言葉を紡ぎ、己を見つめるケ芝から目が離せない。
    「お前達を率いて勝利に導く事はかなわぬがー・・・死んでも異郷の地の亡霊などにはしない。
     では命ずる。行け、蜀の国の為に戦え」
    そういうと趙雲は紐の付いた古い板をケ芝に渡した。それは兵卒の身分証明のような物で、消えかけた文字で
    『常山・趙子龍』とかかれていた。
    「これを・・・私のかわりに共に戦場へ。」


    「私もすぐ後に続く。」

 


       不分離


     馬が不穏な空気を感じて神経質に地を掻いている。
    首を軽く叩いてなだめてやり視線を上げると、寒冷の中宙を舞う砂埃の奥にいつまでも続くと錯覚させるような
    魏軍の群れが視界いっぱいに広がっていた。しかし不安や恐れは微塵もない、死に対してはさして思うところも
    なかった。それよりも、彼の副将として誇り高く死ねる事に幸福のような想いすら湧き上がっている。
    考える事といえば、いかに命が果てるまでに彼の障害となる者を多く屠れるか。
     何もかも美しく完璧な彼の死は、やはり美しくあってほしい。民に大人気であったかつての長坂での単騎駆けの
    ように、圧倒的な美談と武勇が入り混じるような、そんな死に方が彼には似合う。
    彼が少しでも多く敵を屠り国の為に誇り高く命を落とし、民にいつまでも美談として語り継がれるような・・・。
     ケ芝は、姿を目に焼き付けるよう、後ろを振り返り想い人を強く見つめる。
    すると、趙雲はぎこちない笑顔で笑いかけてくれた。
    遠く離れていても、近くにいるかのようにはっきりとわかった。応じてくれたということは、趙雲もまたケ芝をずっと見ていてくれたのだ。
    微笑には見えないような硬い表情、無理矢理作ってくれた笑顔。こんなときなのに、あぁ、この人が好きだなと深く実感する。
    これ以上見てしまうと未練が生まれそうで、視線を外す。
    彼のように大人でない己は、眉間に皺を寄せて溢れてくるものをおさえることしかできなかった。
     目で合図を送り部下の副将三人とその配下達を先に送り出す。将の前にいる兵等を蹴散らしてくれという思いをのせて。
    陣太鼓の代わりに曹嬰の琵琶が響く。長い鉄爪で爪弾く張り詰めた弦の音とこちらの太鼓の不思議な旋律に武者震いが起こる。
    その音を合図に黒い津波が押し寄せてきた。
    ・・・自分が、この波から彼を守るのだ。二度と、傷つけないように。
     目の前で部下達が敵を倒し、倒されていく。そこここで血飛沫と音になった声が上がり、血の雨が降る。・・・見慣れた光景だ。
    無残な姿を地に晒す部下達を見て心が冷える。フと、これから趙雲も死ぬ気なのだと言う事を思い出すと、目の前の惨状が
    違って見えてきた。
     思わず振り返ると、青い顔をした・・だが凛とした表情の、誰よりも仲間を愛する彼が必死に拳を握ってこちらを見ていた。
    安心させようと、今度はこちらから微笑みかける。こんな時なのに、優しく笑いかけられる自分に少し驚いた。
    かわらぬ堅い表情だったが、趙雲はぎこちなく頷いてくれた。
    それが嬉しくてこちらも頷き返す。もう、何も不安ではない。心と頭を占めるのは、趙雲のためにより多くの敵を屠る事のみだった。
    ゆっくり駒を進めると、後ろに控えていた兵達も同じ速度でついてくる。自分と運命を共にする気なのだ。
    趙雲が蜀と運命を共にし、己は趙雲と運命を共にし、兵は己と運命を共にする。兵達のその心が自分の力に拍車をかける。
     そのケ芝を討とうと、韓徳軍が鬨の声を上げながら攻め入って来た、ケ芝は先に仕掛けられた不快さに唾を吐くと
    思い切り愛馬の腹に足を打ちつけた。
     勢いよく駆け出す愛馬と一体となり先頭を行く韓徳に斬りかかる。一回、二回、三回ー・・・結局一騎打ちは引き分け、
    そのままの速度で後ろの兵に斬りかかる。一薙ぎで三人斬り殺すも、既に目は次の標的に向いていた。
    斬る。突く。掃うー・・・・。
    獅子奮迅の働きに恐れをなしたのか、目の前は死体の山しかなく他の兵は遠巻きに様子を伺っている。こんな時に
    度胸が無い。ケ芝は眉間に皺を寄せると馬首を返した。だいぶ離れた位置でも韓徳がこちらに馬首を返している。
    もう一度だ。
    馬を走らせ払うー・・相打ちだ、すぐ馬首を返しもう一度斬りかかり、韓徳の槍を弾き飛ばしそのままの勢いで槍の柄で
    殴った。
     その次の瞬間、何かが唸り声を上げながら地に降り注いできた。
    火の雨が降ってくるー・・火矢だ。
    一瞬気を取られた隙に韓徳は槍を拾い上げると再び斬りかかって来た・・が、地を這うような轟音と爆風により互いに
    槍が空を切った。見るとそこここで馬が破裂している。原因は先ほどの火の雨だろう、一体何が仕掛けられているのか
    わからないが、魏軍の計略だろう。目の前の男を睨みつけるがしかし、その男はケ芝以上に戸惑い困惑を露わにしていた。
    その隙に韓徳の腹を突いてやる。
     勝ったー・・・
    そう思った瞬間、血を吹きながら男に腹を抉られた。血を撒き散らす腹を驚愕に見開いた目で確認しようとした瞬間頭部に
    何かが起こった。
    「・・・・・・・?」
    何も考えられない。ただ、頭の先からぬくもりが急激に流れ出した事を感じた。
    だが、それは問題ではない。
     趙将軍ー・・・・
    そう思った次の瞬間、再び韓徳の腹部に思い切り槍を突き立てた。
    しかし如何せん頭が働かない。刺した槍をぐいぐいと押し込んでいると、今度は肩が急に重くなった。
    見ると目の前の男が血を吐きながら己の槍をケ芝の肩に押し込んでいた。
    ・・・・・・・槍。そうだ、槍。武器。何も思わずその槍に手をかけた。
    「魏の国に、末永き栄光あれ!」
    目の前の男が血だらけの口で叫ぶのを、水の中で聞いている心地で聞いた。
    「蜀の国に栄光あれ!」
    蜀と共に運命を共にするあの人にー・・・・
   
     目の前が、白く弾けた。 

 

 

 

 

    「兄上、私の為に最後の太鼓を。」
    馬上から伸ばされた手を握り締めながら、平安は趙雲を見た。ケ芝達が死に行く様を見ていたときは
    真っ白になりなんの表情も浮かべていなかった顔は、いまや吹っ切れたかのようにいつもの通り凛としている。
    自分の墓を自分で作り、鎧や兜も脱ぎ、着物に槍一本と、とても戦場に赴くとは思えない姿なのに
    趙雲は不敵に笑っている。
    ・・・・あぁ、壊れた。とうとう壊したー・・・自分が。
    甥達の死、信愛していた義兄の裏切り、・・・ケ芝の死。
    脇腹から流れる血で着物を朱に染め、笑みを浮かべながら敵の広がる大地へ一人馬を走らせる。壊れてしまった義弟・・
    ーいや、壊れてしまったのは己だろうか?
    平安は泣き叫びながら鼓を打つ。
    「趙子龍ー・・・・!!!」
    力の限り打つ。
    趙雲は雄たけびを上げながら敵の渦に飲まれていった。平安はそれでも鼓を打つ手を止めなかった。
     その大地を震わす鼓の力強い振動に背中を押され、趙雲は次々と敵を刺す。
    兵の動きがとても緩慢に思え、一つの動作で四、五人もの命を奪っていく。なんと楽な戦いか。
    動きが遅いので敵の刃が己に触れる前に叩き落す。降ってくる矢は捕まえた兵を盾にしてふせぐ。
    泣き叫び逃げ惑うものを槍で捕まえ投げ上げる。あぁ、なんと楽しい夢だろうか。だが体は凍てつくように寒い。
    とても寒い。
    「ははははは!」
    笑いがこみ上げて仕方がない。目の前に舞うきらきら光る朱がとても綺麗だ。
     大地に広がっていく死体に愛馬が難儀そうに足を運ぶ。馬は優しい生き物なので死体でも生き物と判断すれば
    決して踏まない。趙雲は周りに溢れる命を次々と散らしながらその片手間に槍の穂先にひっかけ地に広がる死体を除けていく。
     その時、見慣れた物を見つけた。己の髪と同じような薄い白銀で出来た飾りの少ない真っ直ぐな槍。
    すぐにケ芝の槍だと気がつくと、夢が覚めたように急に視界が開けた。通常の速さで敵の戈が降りてくる。
    それを巧みにかわしながら趙雲は地に素早く視線を這わせた。
    「−・・・・っ見つけた!」
    行く手を阻む兵達を切り捨てながら急ぐ。目的のものはもうすぐである。
    「ぐっ!−・・・くぅ。」
    激しい痛みを感じながらも体を思い切り横倒すと、馬を駆けさせながら片手でグンと目的のものを拾い上げる。
    「ケ芝っ・・・・!」
    馬の上にひきあげた彼は目を閉じたまま力なくだらりとしている。馬の駆ける振動でずり落ちそうになる彼を片手で抱きとめる。
    「ケ芝・・・・!!」
    目の前が滲む。趙雲は、ケ芝の事しか考えられなかった。
    「あぁああああ!!」
    野太い声と共に矢が刺さった方とは逆の腹に熱い何かが突き進んでくる。
    驚いて馬を止めるとそれは一本の剣だった。驚きに目を瞬かせながらその先を辿ると、憎しみに満ちた顔の男と目が合った。
    趙雲はその男を竜胆で刺した。
    剣を抜こうとした時空気が唸りを上げるのを感じ、顔を上げると矢が降り注いできた。咄嗟にケ芝の上に身をかぶせる。
    「・・・!・・・・・っ!」
    何本も背に入ってくる鋼を感じながらも、滲む視界はケ芝の顔を捕らえていた。
    「とう・・・し・・・・」
    乗っている馬が崩れ落ちる。体が投げ出されるのを感じる。
    「何をしている、やめなさい!!私は生きて捉えろと言ったはずだ!!」
    女性の金切り声をききながら、趙雲は自分の天命が終わったのを悟った。

 

 

 

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