不分離

 

 

 


     カリカリカリ・・・カリカリカリカリ・・・・
    不思議な音が耳に届く。
     カリカリカリ・・・・
    聞いた事のあるようなないような・・・何の音なのだろう?
     趙雲は重い重い瞼をなんとか時間をかけてゆっくり開くと、青く薄暗い世界が広がった。
    ・・・寒い。思わず縮めた体には黒い着物がかけてあった。血が染み込みゴワゴワとした長いそれは
    自分が戦場に着ていったものだ。
     −生きて、いる?
    信じられなくて驚きに頭を混乱させながらも起き上がろうとする・・・が、体が感じた事の無いような重さで
    少しも動かなかった。紙一枚分すら上げられない。皮膚の中が全て出され、かわりに石を詰め込まれたような感じがする。
    やれやれ年は取りたくないなと息を吐くと、少しは落ち着いたのかまたあの音が耳に響くようになった。
    やっとの思いで頭をずらすと、真っ黒な背中が見えた。
    「・・・ケ芝?」
    願いをこめて呼んでみると、男はばっと振り返った。
    「将軍、起きてー・・・・・!!」
    顔中感激でいっぱいにしたケ芝は慌てふためきながら趙雲の枕元に寄って来た。
    今にも泣きそうでしかし喜びにきらめかせた瞳を見ると、笑みがこみ上げてきた。
    「本当にケ芝だ。」
    フと笑いながら言うと、今度こそケ芝は涙を溢れさせた。
    「将軍、・・・・・よかった。本当に良かった。」
    もう、二度と声が聞けないのではと怖かったと、目覚めて始めて呼ぶのが己の名でどうしようもなく嬉しくてたまらないと
    声を詰らせながら彼は言う。それをうんうんと趙雲は微笑みながらケ芝の声を聞いた。あぁ・・・なんだかひどく安堵した。
    「将軍、まだ体がお辛いでしょう・・まだ寝ていてください。」
    「そのようだ、そうさせてもらうよ」
    趙雲は目を閉じると、またあの音が響いてくる。
    「ケ芝ー・・・」
    「はい!なんですか?」
    「また、目が覚めたときに・・・側にいてもらえないだろうか。」
    その掠れた声音に耳を寄せていたケ芝は、顔を耳まで真っ赤に染めながらしどろもどろに了承した。
     趙雲の規則的な寝息が聞こえるようになるまで、ケ芝はじっと側で寝顔を見ていた。
    だいぶ顔色が良くなっている、魘される気配もない。
    震える長い睫毛に思わず手が伸びるが、薄明かりの中己の手にこびりついた血と泥を見てあわててひっこめた。
    ふぅとため息をつくと、これくらいは役得だ。と、顔を下げ閉じた瞼に接吻をした。
    「よし、俄然やる気が出てきた。」
    ケ芝は気合を入れると、再び壁際に座り一心不乱に手を動かしだした。
     趙雲が次に目を開けたとき、辺りはほんのり明るかった。日が出る時間なのだろう。
    ぼやけゆらめく視界に映し出されるのは煉瓦作りの寒々しく薄汚れた天井だった。
    視線を下げると鉄格子が見える。
    「捕まったのか・・・・。」
    納得してポツリと呟くと、ケ芝の明るい声がした。
    「将軍、お目覚めですかっ!食事があります。召し上がりませんか?」
    牢に入れられているというのに側に寄ってきたケ芝は心底嬉しそうな笑顔である。
    なんだか気がゆるんで、腹が減ってはいないが何か食べる事にした。
    「将軍は5日寝込んでいたんです。その間水しか口にされていないのでまだ固形物は無理っすよね
     清湯・・・少し冷えてしまいましたが・・」
    ケ芝は趙雲を助け起こすと、屑野菜の入った清湯を匙ですくって趙雲の口元にやった。
    「・・・・・・・・。」
    手はいまだ重いとはいえ動かせる。当然のように飲まされようとしている慣れないこの状況に戸惑い清湯を
    見つめていると
    「あ、もう自分で飲めますよね・・・、・・・・・・・・・。ここに置いておきます。」
    如何にもがっかりした風情でことりと足元に皿を置くケ芝になんだか悪い気がして
    「まだ体が重いから・・・飲ませてもらえるかな?」
    「・・・・っはい!!」
    本当は自分でやりたいとこなのだが、こんなことであまりに喜ぶケ芝が可愛くて今回は甘えさせてもらう事にした。
    清湯を少しずつ飲み下す趙雲を嬉しげに見ながらケ芝はいそいそと匙を動かす。
    どうにも楽しそうで断わりにくく、結局もういらないが言えなくて全部飲みきってしまった。
   盆には他に麺鞠や野菜を炒めたもの等があった。生かして捕らえたうえ食べれる食事、何かこれから利用
    される事は明白だった。警戒しての牢なのだろうが地下の澱んで汚い牢ではなく三階か四階かにある牢のようだし
    もしかしたら魏に降れと言い出すかもしれないな、と推測した。
    「将軍、食事はもうよろしいですか?」
    「ん?あぁ、ありがとうおかげで満たされたよ。もう私の腹は充分膨れたから、残りは全部いただきなさい。」
    「ありがとうございます。−・・それで将軍、手当をしたいのでその・・・着物を脱いでいただけますでしょうか?」
    「え?あぁかまわないが後でいい。先に召し上がりなさい、冷えてしまう。」
    すると恥ずかしそうにポソポソ言葉を重ねていたケ芝が意思を込めてこちらを向いた。
    「俺の食事は後でいいんです!先に将軍のお世話がしたいのです。でないと気になって食事も喉を通りませんよ」
    がんとして譲らない姿勢に呆れたと息をつくが、ありがたいことである。こちらからしたらケ芝が食事をとらないのが
    気になるがここは早く治療を受けたほうが早そうだと着物を肩から下ろした。
     ケ芝は趙雲が寝ている間も世話をしていたのだろうに恥ずかしそうに目をそらすと、盆に載せられていた白い布を
    取り、洋杯に入った水で湿らせた。
    「−・・先に、体を拭かせてもらいますね。」
    ケ芝は失礼します!と断わってからそっと趙雲の腕を取り拭き始めた。足を拭く時など目まで瞑っている。
    もしかして気を失っている時からそうだったのだろうか?
    拭き終わった頃にはケ芝は全力疾走をした後のように息をつきながらグッタリしていた。
    「お・・おい大丈夫なのか・・?お前も酷い怪我をしていたじゃないか」
    不安になり気遣うも
    「大丈夫です、俺はこのとおりすっかり元気です。体力もありますんで。・・・では、次は包帯外します、少し
     傷に貼り付いて痛いかもしれませんが、我慢してください・・・できるだけ痛くないようにしますから。」
    「はは、何を今更そのくらい。痛いのは慣れてしまっているよ。」
    趙雲はそれから大人しく治療を受けた。盆には白い軟膏ものせられていたのだ。
    これはー・・・魏に降伏を迫られる線が濃厚になってきたな。
    降る気はないが、もしはっきり断わりつづけていればケ芝まで共に殺されかねない。どうしたものか・・・
     処置を終えて使用済みの包帯をくるくる巻くケ芝に聞いてみることにした。
    「なぁケ芝、この待遇・・・お前はどう思う?」
    ケ芝は手を止めてそうですね・・・としばし思案した。
    「今すぐ殺される事は確実にありませんね。一番有力なのが魏への服従、次は蜀への脅し材料・・・
     それらを拒めば拷問による蜀の内情漏洩、最後に殺害、でしょうね。」
    意外とあっさり告げるケ芝に趙雲は首を傾げる。
    「不安ではないのか?」
    「いえ、俺が不安だったのは目の前で将軍の命が潰える事です。こうして食事まで取っていただけたのですから
     何も怖れてはいません」
    にっこり笑みながら言えば、趙雲は少し恥ずかしそうに目をそらした。
    「見張りはどうやらこの牢へ繋がる回廊に二人だけ、こちらに来るのは日に二度食事と薬を運ぶ時だけ。
     まぁ、この会話は向うに筒抜けに近いでしょうが特に困る事もありませんし・・」
    次は粥を持って来いと強請ったら持って来てくれるかもしれませんね。と朗らかに言っている。
    「・・・本当、お前と同じ牢でよかった。今一人になっては私は自害しかねなかったところだ。」
    「そ、そんな!絶対にそれだけはなさらないでください!もしそうなったら俺もお供します。」
    必死にそういう姿を見て趙雲は慌てて手を振った。
    「いやいや、しないさこうしているのだから・・・・それにしても、何故同じ牢へ?」
    「あー・・俺が目が覚めた時、大丈夫そうだからお前が手当しろと同じ牢に入れてもらったんです。
     きっと将軍がこの牢から出るのが怖いのでしょう、食事も隙間から入れられますし。手当も牢を開けないで
     出来る者ということで俺なのでしょう。」
    「そうか・・・。」
    「それより将軍、お体がまだ熱いようです。熱が下がっていないと思うので寝ていてもらえると安心なのですが」
    「いや私はもう・・・うん?」
    大丈夫だからともっと体を起こそうと下に手をついて初めて気がついた。趙雲の下にはケ芝の腰にあった黒い布
    枕の替わりにファーのついた上着があった。
    「ケ芝、これ・・・まさかずっと?寒かっただろうに・・」
    「いえ!俺体丈夫ですし、将軍をこんな床に寝させるなんて嫌ですから!」
    しかし外は雪が舞う季節、吐く息も少し色がついている。そんななかで笑うケ芝は血がついてゴワゴワし
    所々やぶれた黒い袍に、下衣にくつのみという寒々しいものだった。
    「では・・・こちらに来なさい。」
    趙雲に誘われるままふらふらと近づくと、腕を引かれて隣に腰を降ろした。その肩に趙雲の上着の半分が
    かけられ、並んだ二人の膝の上にはケ芝の上着がかけられた。
    「・・・かなり冷えているじゃないか、風邪を引くぞ。無理は良くない。」
    「そ・・そうですね・・しかしなんというかむしろ暑いくらいです。」
    体を堅く強張らせ身じろぎも出来ないケ芝に趙雲は呆気に取られたが、ケ芝も少しは暖かい様子なので
    安堵の息をついた。
    「・・・ん?ケ芝お前、寝てないのか?」
    「え・・・いえ、寝てますよ?なんでです?」
    「いや、目の下に大きな隈が・・・」
    出来ていた。心なしか少しやつれたようにも思う。
    「それは将軍が心配で仕方なかったので心労でじゃないですかね?」
    もう起きられたのですから心配は要りませんね。と、ケ芝は嬉しそうに笑った。
   不審さは感じさせないがどうも納得いきかねる。趙雲はもう一つ気になっていた事を尋ねてみる。
    「あとその指、出しなさい。」
    「いえ、汚い指なんで・・・」
    「出しなさい。」
    少しきつめに言うと、しぶしぶといった体で手を出した。
    手に取るまでもない。ケ芝の指先は皮がぼろぼろに破れ桃色の皮膚が所々顔を覗かせている。
    爪は削れて三分の二しかなくなっている。
    なんとも痛々しかった。
    「これはどうした?」
    痛くしないようそっと指を持ち上げる。
    「その・・ちょっと。」
    こんな時なのにケ芝の顔は照れて真っ赤である。
    「ちょっとじゃない、こんなになるまで一体何をしたんだ?戦の前はこんな怪我していなかったろう。」
    確かにお守り代わりの木札を渡した時は普通の指であったのに。
    「何を企んでいる?」
    しかしケ芝は答えない。怒る趙雲を眩しげに見つめるだけだ。
    「将軍は、ゆっくり体を休めて元気になる事を考えていてください。俺があなたを守りますから。」
    「そう言う事を言っているんじゃない。これは・・・」
    しかし、ケ芝は何も答えず、ただただ優しく趙雲に微笑むだけだった。



     カリカリカリ・・・カリカリカリカリ・・・・・
    あぁ、またあの音だ。
     カリカリカリカリ・・・・

    趙雲がうっすら目を開けると、辺りは暗かった。
    あぁ、昨日と同じだ。そう思いながら昨日とは違う隣に手を伸ばすが・・・いない?
    寝る時に確かにケ芝を隣に寝かせたはずだ。このままではまた何も体を温めるものが無い中で
    薄汚れた床の上で寝るだろうケ芝を半ば無理矢理隣で寝させたのに、いない。
    そして二人の上にかけていたケ芝の上着もまた丸められて趙雲の頭の下に収まっていた。
     気分も頭も随分とすっきりしている。熱はもう下がったのだろうか。そして昨日ケ芝がいたほうを見ると、
    やはり黒い背中がそこにはあった。あの音と共に。
    「ケ芝・・・?」
    ケ芝は背中を大げさに跳ねさせながら手を止めた。自然、音も止まる。
    「何を・・・?」
    しているんだ?ケ芝が静かに、と指を口元で立てるので、趙雲は口の動きだけで聞いた。
    ケ芝は頷くと、少し体をずらせて見せる。
    するとそこには丸く小さな穴が空いていた。
    「何だ?」
    趙雲が小声で問うと
    「 ここから、脱出しようと思いまして。時間が来ると信号も送っています。」
    と、口の動きだけで伝えると、ケ芝は胸元から趙雲から貸してもらった木札を取り出した。
    木札には金具がついている、その金具を月の光の当たる位置まで近づけると、その前で手を振り
    外に向けて信号を送った。
    「誰かは知りませんが手前の山に蜀の手のものがいます、多分丞相の間者でしょう。あと数刻
     したらこうして連絡を取ります。」
    なので将軍は安心して寝てくださいと彼は言う。
    「しかしその穴・・・見つからないのか?」
    「この煉瓦を外して開けているので戻せば中からはわかりません。この階は地上四階なので外から見ても老朽化が
     進んでいるようにしか見えないはずです。」
    「そうか。」
    「はい、まだ寝ていてください。」
    そう言うとケ芝はまた背を向けた。
    カリカリカリ・・・・
    「ケ芝、」
    カリカリカリカリ・・・・
    「やめないかケ芝。」
    カリカリカリ・・・・
    「やめろ!お前手で掘っているのだろう!やめないか、これは命令だ!」
    とうとう趙雲は一喝したーが、ケ芝は無視したかのように手を止めない。
    「ケ・・」
    「やめません。」
    初めて聞くような強情な声だった。
    「やめろケ芝。」
    「やめません!他の命は聞きますがその命令だけは聞けません!」
    ケ芝はあれだけ警戒していた声をあらわに断わった。
    初めての命令違反だった。
    「・・・・・・・。」
    趙雲は言葉を失い、ただ心配そうに見つめた。その視線の先で、ケ芝は一心不乱に穴を掘っていた。
     そんな日が数日続くと、穴はケ芝の上半身が入るほどに大きくなった。煉瓦を戻しても隙間風が入ってくる。
    外は白銀の世界で、皆雪かきに必死で壁を見るものなど誰もいなかった。
     ケ芝は昼は寝て体力を温存し夜は穴を掘り、明け方の寒い時間は上着ごと趙雲を抱えて温めた。
    「すまない、ケ芝・・・」
    趙雲は寝ているケ芝の前髪を耳にかけてやった。露わになった顔には疲労が濃くでている。
    「・・・・・・・。」
    少しでも暖かくなるようにと腕をこすってやっていると、 この牢へと続く戸が開く音がした。
    コツコツと足音が近づいてくる。この牢には自分達しかいないのでここに来ることは間違い無い。
    ケ芝はよほど疲れているのだろう泥のように眠り起きる気配が無かった。趙雲はそっとケ芝の手を
    かけている上着の中にいれてやり隠すと、鉄格子のほうを向いてきちんと座った。
    「・・・目が覚めたと聞いたので。」
    そこに立っていたのは、やはり曹嬰だった。最後に見た時のように黒い服を着、護衛を従えて立っていた。
    「おかげさまで。」
    趙雲は感情をひたすら隠し、平然と言った。
    「随分具合がよくなったみたいですね、そこに転がっているのは随分悪化したようですが。」
    そこ、とついと白く細い指をケ芝に向ける。
    「どうにもここは冷気が入るので、私の看病で忙しかった彼は拗らせてしまったようだ。どうか毛布の
     一枚も貸していただけないだろうか?」
    頼む、と頭を下げると曹嬰は少し口端を上げた。
    「よほど趙雲はその部下が可愛いとみえる、戦場で必死にその男をかばっているのを見ましたが・・・その男は何者?」
    猫なで声で聞いてくる曹嬰は弱みを握ったとばかりに楽しそうだ。
    「何者も何も私の部下です。部下がいなければ私はただの年寄りだ。」
    「そうではない。あなたは一人でも立派な将軍ですとも、おじいさまと対面なさった時もお一人ではなかったですか。」
    「劉禅様が背にいました。」
    「・・・・劉?誰・・・」
    曹嬰は心底わからなかったようで背後の部下に小声で尋ねていたが丸聞こえだった。曹嬰の一番の敵は趙雲と諸葛亮
    だったのだろう。
    趙雲は情けない気持ちで曹嬰の次の言葉を待った。
    「あなたはおじい様の剣を返してくださった事ですし、その強さと胆力、知力は我が軍にとっても魅力的。・・どうです
     我が国で槍を振るうというのは」
    ・・・やはり。曹嬰は曹操に似たと噂の孫だ。いくら憎しみがあろうと趙雲を配下にするのを望むと思った。
    「なんともありがたい話だが、あの戦を見てわかったでしょう?私はもう年だ。期待に添えるような活躍は
     望めません」
    「陣頭指揮や鍛錬の指示だけでもよいのですよ。・・・まだお時間を上げましょう、ゆっくり考えてください。それと、その方に
     毛布を持ってこさせて差上げましょう」
    曹嬰は嫣然と笑むと、立ち去っていった。
    戸が閉まる音を聞いて息を吐く。曹嬰の感情は隠されていたが、押さえきれない憎しみが瞳から溢れているようだった。
     ケ芝の目が覚めたのは辺りが薄暗くなった時だった。
    真綿に包まれたような心地の中目を開くと、目の前に寝ている趙雲の顔があった。驚いて顔を引くと
    趙雲の上着を枕に、見慣れない暖かな毛布に包まれていた自分に気付いた。隣で眠る趙雲はケ芝の上着を着て
    寝ていた。その光景にカァと頬が熱くなる。
    しかし照れている場合ではない!とケ芝は趙雲を抱き上げると自分が寝ていた腰巻の上に乗せ、毛布で体をくるんでやる。
    「ん・・・ケ芝、起きたのか。」
    「はい、今目覚めました。この毛布はどうしたのですか?」
    「曹嬰に頼んだ。」
    大きな欠伸をしながらそう答える趙雲にケ芝は目を丸くした。
    「え、もしや来たんですか!?そ、それでなんと・・?」
    「降伏を迫られたがぼかしておいた。」
    まだ数日は大丈夫だ、と眠そうに目をこする趙雲に頬を緩ませながら、それは安心ですと答えて寝かせた。
     穴はもう脱出しようと思えばできる大きさだ。幸い穴の下にある馬小屋の屋根の上には雪が大量に積もっており
    自分は足がやられるだろうから無理だろうが趙雲だけでも・・と思っていたがこのままでは二人共逃げれそうである。
    ケ芝はさっそく煉瓦を外すと穴の拡張と指示を急いだ。
    「と、いうわけで今夜脱出します。」
    「・・・・・・しかし、本当にその相手は味方なのだろうか?」
    曹嬰との遭遇から三日後、潜めた声で告げられたケ芝の言葉に趙雲は心配そうに眉を下げた。
    「蜀の間でごく僅かにしかしられていないあの信号を読み的確に毎晩やりとりをしてくるので俺は信用しています
     ・・・というか逃げるなら早いに越した事はないと思うので信じてみます。もし敵の思惑なら倒せばいいだけのこと。」
    ですよね?というケ芝に、趙雲も腹を決めたようでコクリと頷いた。
     その日は共に昼のうちから眠り、夜にケ芝に起こされた。
    「将軍・・合図がありました。すぐ出ましょう、じっとしておいてください。」
    趙雲がまだ覚醒しきっていない間に毛布ごと趙雲を包み抱き上げると、ケ芝はこれで完成とばかりに薄く削っていた
    穴の周りを蹴って拡張した。すると穴は中々の大きさになり、雪が舞い込んできた。
    「行きます。」
    「え、このままでか?私も飛び降りるぞ。」
    「いえ、将軍の怪我はまだ酷いですし。このままの方が安全です」
    「それは私だけだー・・・・・!!」
    ケ芝は大きく深呼吸をすると趙雲をしっかり胸に抱きこみ穴から飛び降りた。
    ドサッ!という音に驚いたのか馬が嘶く。しかしこの時間帯と雪ということで誰も気にした気配はなかった。
    この時期で、本当に助かったとケ芝は己の足が無事なのを確認した。
    「ケ芝、ケ芝・・・・お前大丈夫なのか?傷は?」
    心配そうに毛布から顔を出す趙雲に大丈夫だとへらりと笑うと、そのまま地へと降り立ち、黒馬の背に趙雲を乗せた。
    「さすがに馬を二人で乗ると遅くなるので将軍はこの馬でお願いします。」
    ケ芝は手早く二頭の馬の綱を解き鐙をつけた。
    「寒いだろう、これを・・・」
    毛布を差し出す趙雲の手を止めると
    「では、俺の上着返して貰いますね。」
    笑顔で自分の上着を身に付けた。
    「これからどうするんだ?」
    「信号相手の仲間がこの城の中に潜んでいるようです、小火を起こして城門裏にある小門の鍵を開けておいてくれる
     そうなのでそこから脱出します。」
    そう上手く行くとは思えない。何か罠があるだろうと趙雲は恐ろしかったが、それ以上に恐怖を感じていたのだろう
    顔色の思わしくないケ芝を見ると、ニコリと笑いかけてやった。
    「お前には本当世話になりどおしだな、褒美は何がいい?」
    「え・・・・いいんですか?そうですね・・・・その・・・・」
    思っても見なかった久方の趙雲の笑顔にケ芝がしどろもどろになっていると、火事だー!という声が遠くで聞こえた。
    「行くぞ。」
    騒ぐ声が段々大きくなる中、趙雲は手綱を強く握り締めた。その時喧騒に紛れて小さな呟くような声が耳に届いた。
    「接吻を」
    趙雲はグイとケ芝の腕を引き、口づけた。
    「・・・・・・ッ!!!」
    城のあちこちで灯る明かりが届き、固まって真っ赤に染まる顔をしたケ芝の顔が見えた。
    趙雲はにやりと笑うと
    「さぁ、行くぞ!」
    と楽しげに馬を駆けさせた。
    「あ、ちょ・・・待っ・・・!待ってください!」
    ケ芝も急いで馬を駆けさせると、慌てた様子で止めに来る兵達を蹴散らしながら小門へと向かった。
    そこは約束どおり開いており、あっさりと脱走は成功したのだった。
    「本当に出来てしまったな、意外すぎて逆に恐ろしい。」
    馬を飛ばす趙雲の声は吹きすさぶ風に紛れながらもケ芝の耳へと届く。
    「当たり前ですよ、俺があんなに骨をおったのですから!」
    得意そうに言うケ芝に趙雲はフフと笑いながらもそうだな、と返す。
    その時一頭の馬が横から駆けて来て合流した。
    「おじ上、ケ芝・・・なんだ、思ったより元気だな。」
    「張苞!」
    張苞は馬を駆けさせながら右手で合図した。すると数人の部下たちが馬を飛ばしてきた。
    「お前、無事なのか?てっきり死んだのかとおもった・・・・。」
    呆然とケ芝が呟くと張苞はこちらの台詞だと口を曲げた。
    「おじ上の軍が潰滅したって報を受けて俺も関興も急いで鳳鳴山へ向かったんだが、そこで待ってたのは
     両軍の夥しい死体にお前と叔父上の槍、廃人のようになり一言も喋らない平安におじ上の廟。
     そりゃ死んだと思うだろう」
    今目の前にいるお前達が亡霊のようだ、未だに信じられないと張苞は言う。
    確かに言われてみればあの策略好きの曹嬰がそう言って血で汚れた関興・張苞の旗を投げて寄越しただけである。
    信頼に足る仲間が告げたのでもないのに、よほど切羽詰っていたのか鵜呑みにしてしまっていた事に気付く。
    「じゃあ関興も?」
    「アイツも来るって駄々捏ねてたんですが、城で大人しく待ってますよ。」
    あまり大人数だと逃亡も難しいですしねと張苞は暴れた関興を思い出すように肩を竦めた。趙雲も目に浮かぶようで
    苦笑いを返す。
    「じゃあ、ケ芝とやりとりをしていたのはお前の部下かい?」
    「いえ、諸葛亮殿の間諜です。城内の内通者は徐庶の一族の者だそうです。」
    「そうか・・・・ありがたい。」
    趙雲はようやくほっと出来たようだった。
    雪の中馬を駆けさせながらケ芝は懐の物を出す。
    「将軍、これありがとうございました。」
    ケ芝が差し出したのはあの木札である。
    趙雲は首を横に振ると、持っておきなさい。と穏やかに言った。
    「もしかしたらあの子が守ってくれたのかもしれないね。」
    首を傾げるケ芝に、裏返してみろと手を捻る。
    「あ・・・・。」
    裏面には

    ー東西南北、再び会えたら二度と離れませんようー

     と、つたない字で書いてあった。
    「これー・・・」
    いつも出す時は深夜だったので裏面に墨で書いた文字なぞ見えなかった。
    「昔、一緒になろうと思ってた娘に書いてもらったんだ。」
    「そうでしたか・・・確かに、このおかげかもしれませんね。」
    そう言って大事そうに懐に仕舞いなおすケ芝が、趙雲の目にはとても大きく写っていた。

 

 

 

  

    アトガキ
   もっと糖度をあげよう。そう・・・ねずみランドのキャラメルポプコーンくらいに!企画第二弾でした。
    あー・・・・長い!長いわ!何時間かかったと思ってんじゃい!(自分で自分をつっこみ中
    どうしても木札あげるとこも書きたかったんで、こんな長さに・・・。
     さて、映画の続きですよ。ちなみに韓徳のケツ辺りで爆発した火薬は韓徳が盾になるかたちで
    近くにいたケ芝はラッキーなことに直撃はしなかったよ!みたいな・・・。肩のも上着と中の鎧の
    肩部分でそんな深く傷いってないと思うし、腹の傷と頭くらいじゃねぇの酷い怪我??て思ったんで
    ちと頑張ってもらいました。ご褒美にちゅーさせたげたので許してくれ。

 

 

 

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