清廉の人

 

 

     清廉の人

 

     午後の陽射しも麗らかな中、街は活気付き明るい声がそこここに満ちている。
     成都で戦が起きなかった事と、益州が元々豊かだった事、何より新しい君主と臣下が民に心を
     配っていることがこの穏やかさを出しているのだろう。その事は城につくまでに色んなところで感じられた。
      それは民の話題が教えてくれる。最近の劉備の話題、臣下の誰々の元に呉服屋の娘が嫁ぐだの、好意的な
     話が耳に入ってくる。中でも人気が高かったのは最後の五虎将、趙雲子龍である。長坂の英雄、清廉潔白の人。
     ケ芝も今まで色んな地で政治にかかわってきて、精錬の人と評価された事もある。なのでその話が嘘だとは思わないが
     10万の敵の中から居場所不明の赤子を救いだすなど話を誇張しすぎていないだろうか?
     そこはどうも信じられない、現実離れしている。己の目で確かめよう、もし思い上がって誇張した話を吹聴して回るような
     つまらない男だったら己がその性根を叩きなおしてやると 意気込んで登城した。
     「おぉ、ケ芝・・よく来てくれた。せっかく求めに応じてくれたのにこのような恰好で申し訳が無い。」
     病状がどうにもよくならないのだろう、薬草臭い部屋に寝かされ女性や医師に囲まれた劉備は痩せ細った手を弱弱しく
     持ち上げると、ケ芝の手を掴んで歓迎の意を示した。
     「お体に障ります、どうか 安静になさってください。俺はできる限りの事をこの蜀でやるつもりです。」
     とは言ったものの、大丈夫なのだろうか。劉備軍は劉備という魅力と諸葛亮という頭脳、義弟の武力の三つで成り立っていた。
     その一つが失われ、今二つ目が風前の灯だ。歓迎されているとはいえ蜀は新しい国となったばかり、近いうちにこの国は
     滅びるだろう、最後の頭脳ですら白髪の老人となりつつあるのだ。
     しかし劉備の嬉しそうな顔を見るとやっぱりやめるなど到底言えない。劉備も諸葛亮も、かつて語り合った時のあの若々しさは
     どこかに置き忘れたようになっていた。
      部屋を出て、薬品でいっぱいになった肺から息を搾り出す。鼻から抜ける青臭い匂いを感じながら、今度は溜息をついた。
     この国が失われる時まで精一杯力になろうとは思うが、運命を共にする気はさらさら無い。できればもう仕官をやめたいくらいだ。
     何が一番嫌だったかと言うと、劉備の一人息子で跡取である劉禅の凡愚ぶりである。謁見した時に開いた口が閉まらなかったほどに
     呆然とした。凡愚というよりあいつは阿呆だ。阿呆の塊である。泣きたいほどにこいつに仕えるのが嫌だった。
     劉備殿が亡くなったら自動的にあの阿呆の塊に仕える事になる。
     ・・・・・そうなったら、逃げようかな。
     ケ芝がまた大きく溜息をつくと、
     「おや、大きな溜息。若いのに苦労が多そうだな」
     見ると、白銀の髪を豊かに流した美しい男がいた。男に美しいと言うのも変な話しだが、第一印象がそれだったのだ。
     まじまじと見ると、柔和な目元、きりっと閉じられた唇、綺麗に揃えられた髭から真面目さと柔らかな優しさが感じられた。
     「はぁ・・・まぁ。」
     誰だろうと思いつつ生返事を返す。
     「見ない顔だが、お客様か何かかな?客室はそこの通路を右にまっすぐ行った所だ、私でよければ案内をしようか?」
     「いえ、新しく仕官した者ですので・・」
     「仕官?そうか、君がケ芝だな、噂は劉備殿からも諸葛殿からも窺っているよ。私も歓迎する」
     にこりと笑みながら男は形のよい綺麗な手を差し出した。
     「あ、どうも・・・ありがとうございます、よろしくお願いします。」
     君主と丞相を敬称付きとはいえ気軽に呼んでいる。この人は何者だろうか?そう思うも差し出された手を咄嗟に握り返せば
     その手がほんのり暖かくて心地よく、劉禅よりもこの見ず知らずの男性に仕えたいと思わず思った。
     「もう謁見は済んだのか?」
     「はい、もう部屋に戻るのみです。」
     「そうか、私はこれから食堂へ夕餉をいただきに行くところなのだが一緒に行かないか?」
     誘ってもらえた事が存外嬉しく、ケ芝は一つ返事で男について行った。
      食堂では男が入ると飯をかっくらっていた兵士達が慌てた様子で立ち上がり口々に挨拶をした。中には嬉しそうに走り
     寄って来る者たちもいる。
     「将軍、もうお仕事は終わりましたか?」
     「これを、お疲れの体によく効きます。」
     「将軍、隣の席空いてます。こちらに来ませんか?」
     わらわらと寄ってくる兵士達に阻まれケ芝と男の間に距離が広がっていく。どうやら男は人気のある将らしかった。
     見た感じ文官のような印象を受けたので正直意外だった。
     埋もれていく白銀をなんとか目で追っているとそれに気付いた男が立ち止まり
     「申し出はありがたいが、 今日は彼と約束をしているんだ。」
     そう言って手招きする彼から一斉に視線が自分に突き刺さる。嫉妬にまみれた視線が多かったが気にならず、むしろ誇らしい
     気持ちで彼に近寄った。
     「兵ようの食堂だが中々美味いんだ。私もたまに食べに来る。」
     「なら、俺もこれからここでいただくことにします。」
     間もなく運ばれてきた質素だが量のある食事に箸を伸ばしたが、ケ芝は先に気になっていた事を質問する事にした。
     「あの、失礼ですがお名前は・・・?」
     彼は口いっぱいに頬張っていたため、喋ろうとしても言葉が出ず、必死でもぐもぐと口の中の物を片付ける。そんな様が
     小動物のようで可愛くて微笑ましい。やがて全て飲み込んだ 彼はお待たせと口を開いた。
     「私は趙雲子龍という。ここで将をやってるから、君と仕事をする機会も沢山あると思うから、よろしく。」
     「・・・・・・あなたが?」
     「え?あ・・私の噂でも聞いたのかい?恥ずかしい事だな・・」
     趙雲は恥ずかしそうに頬を掻きながらすこし俯いてしまった。どんな野郎かと思えば、こんなに可愛らしい人だったのか。
     「あの、本当に10万の中からあの阿・・劉禅殿を救いだしたのですか?」
     「いや、私は数えてないし見つけるまでは関羽殿張飛殿に援護してもらったし・・・なんであんな噂がたったのか・・恥ずかしいな」
     「・・・・・・。」
     どうにも猛将には見えないが、それなりの力量はあったようだった。まぁそれはそのうち判明するとして、この人がいる国なら
     劉禅に代わってもいてもいいと思えた。
      その後命まで捧げるほど愛する事は、まだ思いもよらなかった頃である。

 

 

 

 

     あとがき
    はい、でっちあげ出会い編でした。まだワンコでないオン君。まだ天敵の存在を知らない頃。

 

 

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