思惑
「知ってるか、ケ芝将軍県令の末の娘と結婚するらしいぞ。」
通りを歩いていたケ芝は思わず立ち止まり眉間に皺を寄せる。今の話に自分の名が出ていなかったか?
横を見ると部屋の戸のあたりに人影が見えた。近づいてみると兵士が三人、噂話に花を咲かせていた。
「えっそうなのか?いいなぁ、名門同士か・・」
「なんともう既に二人の間には子までいるそうだから近々式を挙げるそうだ。」
はぁ!?なんだソレ!ケ芝は根も葉もない噂に腹が立つというより呆れる。悪意あるものだったらぶん殴ってやる
とこだが別に陥れようとかいう類の嘘ではない。こんな噂が立てられる意味がわからなかった。
「さぞや豪華な飯がでるんだろうな。あー、よばれてぇ。」
「それは確かな情報なのか?」
「そりゃ県令が劉備様に婚約の許しを貰いに・・・!?」
ケ芝は我慢も限界でずいと部屋に入っていった。兵士達は目を丸くして突っ立っていたがケ芝の次の言葉に
困惑した。
「来たって?ご苦労なこった、俺はそんな事知らねぇし?もちろんする気もねぇし。」
「で、ですよねー・・・」
「で、でも昨日確かに・・・」
「誰が盗み聞きしたのか知らねぇがそれは勘違いだ、俺は結婚する気はない。別の人の事だからもうその話は
すんなよ。してる奴がいたら訂正しとけ」
「は、はい!」
慌てて礼をとり恐縮する兵たちに満足したケ芝はもう用はないとばかりに部屋から出た。
そこで安心していたのは浅はかというものだった。
仕事に向かう途中にも数人に「ご懐妊おめでとうございます」だの「ご結婚はいつですか」だの言われた。
その度訂正していたが
「よぉケ芝、お前妓女孕ませた上に喧嘩の末腹刺されたんだって?」
「・・・違う。」
さも楽しいといった顔で肩を組んでくる関興の手を苛々と払いのけた。
「その噂は始めて聞くぞ、もしかして噂の出所はお前だろ」
ケ芝は最初からいつも自分に悪戯を仕掛けてくる関興を疑っていたのだが
「ちげぇーよ。最後の腹刺されたってのは確かにつけたしたけどこの噂はえーと・・・2日前に聞いた。」
二日前?それは関興が聞いたというだけでもしかしたらもっと前から流されていたのではないか・・・。
段々ケ芝は腹が立ってきた。誰が何のために流した噂なのか。
「誰から聞いた?」
「誰だろうなー?」
まぁせいぜい頑張れよと手をヒラヒラさせながら関興は去ってしまった。
ケ芝は溜息をつく。別に誰に聞かれてもいい噂だが、あの人にだけは聞かれたくなかった。
もし、明るい顔で祝辞を述べられたらー・・・・。
可能性は充分ある、が言われたくはない。目を瞑り覚悟を決めると、彼の人の元へと足を向けた。
もしかしたらまだ聞いていないかもしれないという少しの希望を胸に。
だが
「ケ芝お前、結婚するのか?」
言われた第一声がそれだった。
「いや、それは・・・」
ケ芝はがっくりと肩を落とした。誰に噂されてもいいがこの人の耳にだけは入れたくなかった。
「子供ができたのか?」
「いぇー・・・その事なんですが」
「違うのか?」
いつもの穏やかさを捨てたような思いもよらぬ鋭い視線にケ芝は後ずさった。
「・・・・違います。」
そう言うと今度は趙雲の眉間に皺が寄った。
あぁ・・・どうしよう、怒らせてしまった。
ケ芝は必死で言い訳を考えるが噂の出所がわからないので何故こんな噂が流されたのかもわからない。
一番わからないのは趙雲のこの反応だ。てっきり祝われるのではないかと思っていたのに噂自体にも
否定にも不快なようだった。
「何故こんな嘘を?噂を立てられるような事をしたのか?」
「いえ、それが・・まだわかりません」
「わからない?何故早く対処しない、お前は自分の立場がわかっているのか?県令の末の娘さんが
他国に狙われるかもしれないんだぞ。噂のせいで肌に傷がつくことになったらお前が責任を問われるんだ」
初めての叱責にケ芝は想像以上に衝撃を受けた。足が震える。
「はい・・・すみませんでした。すぐ噂を消してお嬢さんに数日護衛をつけさせます。」
失礼しました。と深く一礼するとケ芝は足を叱咤しながら命令を飛ばすために走り出ていった。
「・・・・・・・。」
趙雲はというと口元に手を当て部屋の中をうろうろと落ち着きなく歩いていたが、やがて出て行った。
「オイ、お前!」
「ひっ!?は、はいなんですかケ将軍!」
ケ芝はやっとの思いで今日始めに噂を咎めた兵を捕まえた。
「あの噂、誰から聞いた?」
「え、さっきのですか?確か・・・ほら、そこに座ってるあいつです。」
「わかった、ありがとう。もう噂すんなよ!」
「は、はい!」
ケ芝は噂の出所を辿るがやはり記憶の曖昧な者もいて中々上手いようには進まなかった。
だいぶ進んだかと思うと最初の状態に戻される状況に焦りが募る。
気は進まないが今日のうちに収束させたいとケ芝はある人物の執務室へと急いだ。
「おい関興!」
もちろん入室の伺いなど立てない。バン!と戸を開けると不快そうに振り返られた。
「あ?誰の部屋だと思ってんだコラ」
舌打ちされたがそれどころではない。
「噂の出所教えろ」
「なんで俺がー?」
自分で探せ、と追い払うように手を振られるが、自分で探しても同道巡りだったのだ。
「お前の大好きなおじ上に叱られたんだよ!」
「ざまーみろ。」
けらけら笑う関興にイラッと来たケ芝は思わず手が出たーが、それを捕まれて逆に叩き返された。
「痛っ!」
「てめぇーに負けるわけねぇだろ、この俺が!」
「一昨日の手合わせ負けたくせに。」
勝ち誇った余裕の笑みにボソッと呟くと関興の頬がヒクリと引きつった。
「あー教えねぇ、絶対教えねぇもう教える気なくした!」
「最初から無かっただろうが!」
子供かよ!と文句を言いながら関興は諦めたケ芝が部屋から出て行ったとき
「・・・張苞に聞きな」
扉が閉まりきる前にボソリとそう聞こえたのだった。
「張苞!」
「お前等五月蝿いから聞こえてる、もっと静かにできないのか」
すぐ隣の張苞の部屋を開けると腕を組んだ張苞がこちらを向いて座っていた。
「誰なんだ!?」
「俺が知るわけねぇだろ。・・・だが探すコツは知っている。まずは女に聞け、やつらは噂好きだから
大抵の事は知っている、それと噂は嘘だという事も言っておけば夜までには城中の女が今度はその話題だ。
明日にはかなりの人数がその事を耳にする。」
一石二鳥だ。そう言う張苞がケ芝には輝いて見えた。
「ありがとう張苞!お前は関興と違って本当にいいやつだ!」
感激してそう言うと聞こえてンだよ!という怒鳴り声とともに壁をダン!と蹴る音が部屋に響いた。
「そうだな・・・あと、噂の出所は大抵意外なところだ。身近な奴、そんな噂を流すわけもないと思ってる奴
接点がほとんどないやつー・・・のどれかが有力だ。」
ケ芝は感謝すると部屋から飛び出した。
まずは侍女からー・・・と城内の深部に向かっていると、声が聞こえた。聞き間違ええるはずが無い、趙雲だ。
ケ芝は引き寄せられるように声の方に近寄る。角を曲がって廊下を少し進んだところの部屋の中だ。
どちらかといえば小さな声で話しているのにすぐ聞き取るところは流石である。
ケ芝は戸に手をかけようとしたが、まだ先に進めていない状況で会うのは気が引けて手を外すと、横の壁に
もたれて座った。少し休憩がてら声を聞いたら続きに戻ろう。声が疲れた心に心地よかった。
趙雲はと言うと、あれからすぐに噂の出所を見つけ出したのだった。
「どうしてそんな噂を流したんだ?」
目の前には青い顔をして細かく震える女官がいた。
「答えなさい、この噂により困る人が何人も出ることが判っていてやったのか?」
「あ・・・わた、し・・・その・・」
女官はゴクリと唾を飲みこむと目を泳がせながらぽつぽつと答えた。
「ケ芝様が・・・困ればいいと・・・思って・・その、・・こんなことになるとは、思ってなくて・・・」
「県令のお嬢さんは?」
「それは・・・噂に尾ひれがついて・・・私は最初、女官の誰かを孕ませたんだって・・・噂好きの子に・・ちょっと
嘘ついて・・・・」
「どうしてそんな事をした?」
「だって・・・・ケ芝様、最初はあんなに私と過ごしてくださったのに・・・いつからか来てくれなくなって
もう・・私のことなんか忘れてて・・・腹が立ったんです!・・・あんなに愛してたのに・・」
うぅ・・・と悲痛な泣き声がする。
ケ芝は思い出そうとしたが、ぼんやりとしか思い出せなかった。確かに蜀に来て最初は色んな女性に手を出した
が、お互い遊びのつもりだと思っていたのだ。本気にされていたなど思っていなかった。
これはちょっと悪かったな、と思う。趙将軍が叱ってくれたから、自分はあの子に謝ろう。
「もう、噂は流さないね?」
「はい、謝って皆に訂正しておきます・・・・・本当にごめんなさい・・。」
どうやら終わった様子に、ケ芝はそっと壁から離れ前の部屋に逃げた。今自分が出ては色々気まずいだろう。
趙雲の足音が遠ざかってから女官のいる部屋へと入ったのだった。
一方その趙雲はと言うと、すっきりした気持ちで回廊を歩いていた。この噂もすぐに消える事だろう。
何よりケ芝は誰とも結婚しなー・・・・
「あれ?」
趙雲は足を止めた。ケ芝が結婚するのは別に喜ばしいことではないか?己だって憧れた好きな人との日々。
噂を聞いたとき不快に感じたが本当かもしれないのだから喜んでやるべきだったのかもしれない。
「え・・・・あれ?」
なのに何故自分はケ芝に収拾をつけろと言った口で女官を叱ったのか?これは自分の出る幕ではないし
ケ芝がやるべきことである。何故それがわかっていながらしゃしゃり出てしまったのか。
「・・・・・・・・・もしや、いや、そんな・・・。」
気付いてしまっておろおろとしている趙雲にどうしたのかと兵に聞かれるがなんでもないと手を振る。
顔が熱い、きっと自分は今年甲斐もなく顔を赤く染めている事だろう。恥ずかしくなって早足で歩く。
どうやら自分はケ芝と噂になっている人に妬心を感じそれを怒りと勘違いしてしまったようである、そしておせっかいを働いた。
どうしよう、これからケ芝と合わせる顔が無い。
そう感じているときに後ろから軽快な足音が聞こえた。
「将軍ー!収束しましたよ!」
嬉しそうに笑顔全開のケ芝が駆けて来たのだ。
「とっ、ケ芝!?」
「その・・・すみませんでした。そしてありがとうございます将軍」
何が!?むしろ謝るべきはこちらだ。
「いや、その事だがー・・・」
目があわせられなくて視線を彷徨わせるが、ケ芝はきらきらとした目でこちらを見ている。
情けなくて恥ずかしくてたまらない。
「その・・・私がしゃしゃり出てお前もあの子も叱ってしまった、本当にすまない・・。」
頭を下げる趙雲にケ芝は目を丸くした。
「え!?何故将軍があやまるのですか?むしろ感謝しています趙将軍のおかげでこんなに早く収束・・・」
「し、仕事があるから失礼する。」
「ちょ・・・将軍ーーー!」
趙雲は困り果てた顔でその場から逃げた。とりあえず今は、兄上の顔が見たい。
残されたケ芝はと言うと捨てられた犬のようにしゅんとしていた。どうしてこんなことになっているのか理解できないでいる。
それからというもの何故か趙雲にさりげなく避けられる。目も合わせてくれない。清廉なあの人に軽い男だと軽蔑されて
しまったのだろうか?とても耐えられない・・・これは何の拷問か。
困った時はあいつだというわけで、ケ芝は関興の部屋の戸を一発蹴ってから張苞の部屋に入った。
「張苞ー・・・・」
ガンガンガン!
「またお前か、ケ芝。今度は何だ」
ガンガンガンガン!
「それがー・・・」
「五月蝿い!!」
普段静かな張苞の一喝にケ芝はびくっと動きを止めた。そして自分ではなく戸を蹴られた仕返しに隣でずっと壁を叩いていた
関興に怒った事に気付く。ピタリと止まった音にケ芝は少し満足した。
「ケ芝、アイツを怒りの捌け口に使うな。」
ぎろりと睨まれて小さく謝ると、張苞は怒りを納めてくれた。
「−で、噂は収まったか?」
「あ、おかげさまで・・・それより今度は趙将軍に避けられてるんだ、とても耐えられない。」
目すら合わしてもらえないと言うと、張苞は心底驚いた顔をした。
「は!?お前あのおじ上に嫌われたのか、珍しいもんだな。」
ほぉ、と感心した目であっさりそういう目の前の男にケ芝はさくっととどめを刺された。
昔から彼を知る甥に言われたのだ、言葉の破壊力が半端じゃない。
「もういいよ!」
ケ芝は座っていた椅子を豪快に倒しながら走り出た。関興の部屋の中から聞こえる爆笑が背中に痛い。
このままでは到底耐えられないと、ケ芝は沈む心を叱咤し通い慣れた趙雲の部屋を訪れた。
「将軍ー・・・」
「・・・と、ケ芝」
中では趙雲がなんとか自分で髪を結おうとして髪をグシャグシャにしていた。
「あ、俺がー・・・」
手を伸ばすとさっと身を引かれた。
「・・・・・・・。」
「いや、これはその・・・自分でできる、から・・・」
明らかな嘘をつきながら目は斜め上だ。やはりこちらを見てはくれない。
「なんでそんな・・・・趙将軍。」
再び震える手を伸ばすが、身を捩って避けられた。
何故そこまで・・・・・ケ芝は目に熱いものがこみ上げてくるのを耐えじっと見つめる。
とうとう趙雲は顔ごとそっぽを向いてしまった。
「将軍!」
今にも逃げそうな趙雲の腕を掴むとグイと引き寄せた。
「俺もう噂になるような事しませんから!迷惑かけませんから!お願いだからこっち見て・・・!!」
最後は叫ぶようにそう言うと、趙雲は驚いた顔でやっと顔を見てくれた。
「え、いや・・・あれは別に私も悪かった・・・」
「将軍は何も悪くないです!それにもう、俺は何もしません!!」
何も・・・。と呟きながらケ芝は一粒涙を溢した。
「ケ芝・・・・」
「あなたが嫌がる事は何一つだってしたくはないんです。あなたに・・・嫌われたら・・・俺・・・そんな・・・」
ケ芝は更に趙雲を引き寄せると閉じ込めるようにぎゅうと抱きしめた。
「・・・・・・。」
趙雲は恥ずかしいというより大きな安堵を感じて苦しいくらいに包み込んでくるその大きな胸に体を預けた。
ケ芝をこんなに混乱させ悲しませたかったんじゃない。この年になっても自分は成長できていないなと思う。
「ケ芝・・・別にお前が嫌いなわけではないんだ。ただ自分が恥ずかしくなってしまって目があわせ
られなかっただけだ。」
「・・・本当ですか?」
「あぁ、心配させて悪かった。」
ケ芝が腕の中の顔を見ると、そこで趙雲は穏やかにいつものように微笑んでいた。
「よかったー・・・・本当によかったです。」
ケ芝はようやく落ち着けたように息をついた。そして、はたと気付いた。
「・・うおぁぁぁあ!?す、すいませんでした趙将軍!ー失礼をっ!」
ケ芝はぱっと手を離すと顔を真っ赤に染めながら壁まで下がった。
「・・・・その、髪。結ってくれるか?」
気恥ずかしそうにそういう趙雲に
「はい!」
ケ芝は晴れやかな笑顔で答えたのだった。
あとがき
もっと糖度をあげよう。そう・・・ねずみランドのキャラメルポプコーンくらいに!企画第一弾でした。(なんつータイトルじゃ
いやぁ、最後のとこが書きたかったのにえらく長くなってしまった。ちなみにネタ提供はオヨさんです。さんくす!!
ケ芝の日々の楽しみは将軍の髪を結うことなんじゃないかしらとか思ってみたり。