※犬猿と月餅の続きです。
常勝将軍
今日の書簡仕事は少なく、午前の間に全て終わらせる事ができた。
最近では治安もよくなり、魏も呉も国内で手が一杯なのか全然蜀にちょっかいを出してこない。
そんなこんなですっかり鈍ってしまった体を動かそうと鍛錬場へと向かった。張苞でもいたら手合わせをしてもらおう。
実はケ芝は蜀の将軍達と手合わせした事もなければ共に戦に出た事も無かったので実力がわからない。
相手の力がわからなければ戦で連携をとるのも難しいというもの。丁度いい機会なので片っ端から手合わせしてもらおう
と、思っていたのだがー・・・
「あ、ケ芝。最近良く会うな。」
そこでは腕まくりをして壁に凭れて座っている趙雲の姿があった。
「ちょ、趙将軍!」
白い腕が眩し・・・いやいや、趙雲とさすがに手合わせはできない。もし何か間違えてあの細腕を折ってしまうような事が
あったら自分は両腕を折って謝罪しなければ気がすまないだろう・・と思っているのに
「鍛錬に来たのだろう?丁度いい、相手をしてもらえないか。最近体が鈍って仕方ないんだ。」
嬉しそうに腕を回しながら近づいてくる。あぁ・・・そんな嬉しそうな顔をしないで欲しい。
「お、俺が相手・・・ですか。」
正直断わりたい、幾つなのか知らないがもうご年配である。こんな筋肉のついた大男と鍛錬とはいえやはり危ない・・・
「槍か剣か体術がいいな。どれがいい?」
「体術で。」
ケ芝はハッ!と口をつぐんだがもう遅い、勢い込んでつい了承してしまった。趙雲は「わかった。」と頷くとやる気満々で
屈伸をしている。
「あの、やっぱりー・・・」
「いつでもかかってきなさい。」
断わろうとしたが、趙雲はこちらに向かって手を広げていてとても無防備である。
「では、いただきますっ!!!!」
ケ芝はがばぁっ!と趙雲に飛びついた。
「−・・・・アレ?」
自分が趙雲の上に乗っているはずだったのに気がつくと上に趙雲が乗っていた。
「アハハハ!『いきます』とか『失礼します』は聞いたことあるが『いただきます』は初めて言われたな!」
かわった掛け声だな、と楽しそうに笑いながらケ芝は胸の上をぽんぽんと叩かれた。
「・・・・・・?」
おかしい、何が起こったのかすらわからない。確かにこれも大変いい眺めなのだが自分が上で趙雲を組み敷ー・・・て、おい!
「危ねぇー・・!!」
「何が?」
「いえ、なんでも。」
危うく趙雲を押し倒すところだった。こんなところなのに押し倒したら思わず接吻をしてたかもしれない。危ない危ない。
きっと足でも滑らせて助かったのだ。うん、よかった。
「もう、やめておきまー・・」
「では、もう一度来なさい。」
「行かせてもらいます!」
またもや無防備に立っている趙雲目掛けて掴みかかるが、結果はやはり趙雲に乗られていた。
「ケ芝、お前力が入りすぎているぞ。もっと落ち着いて冷静に相手を見なければ。」
「はぁ・・・?」
これはおかしい。さすがにケ芝は自分の不首尾である事に気付いたが何しろ一瞬なのである。一体どうなって
こうなっているのか?別に趙雲に足を引っ掛けられたり引張られてもいないのに。
何が原因なんだと背中に趙雲を乗せたまま唸っていると、馬鹿にしたような笑い声が耳に届いた。
「関興!」
「馬鹿だなお前、おじ上に勝てるとでも思ってたのか。子龍おじ上は若い頃父上と翼徳おじ上を一度に相手にしても負けなかった
お人だぞ。」
見下したように腰に手を当てて見下ろす関興をグイと引き寄せると、ケ芝は小声で問うた。
「俺は今どうやって負けたんだ?」
「お前が鼻血出しそうな勢いで襲いかかったのをおじ上は片手で軽く払ったんだ。」
「払った?」
ケ芝が納得しかねていると背中から楽しそうな趙雲の声がした。
「力が入りすぎているんだよケ芝は。私は避けてそれを往なしたんだ。それで目標物を失って行き場がなくなった力を
下に流させただけだ。だから冷静に相手の流れと体の動きを見なければいけないよ。戦でこうなってはあとは死ぬしか
ないのだから。」
「はい、練習しておきます・・。」
侮りすぎていた。幾ら細身といえど相手は武勇で鳴らした五虎将の常勝将軍である。力は無くとも技がある。
「では次は関興も相手してくれないかな?」
「俺ではとても相手になるとは思いませんよおじ上、あそこの山の一つになるのがオチです。」
関興の視線の先を見ると、床にぐったりと倒れている数人の兵士達がいた。趙雲に夢中で全然目に入らなかったが
きっと自分が来るまで趙雲に相手をさせられていたのだろう。
中には仲間があっさり倒されるのを見ながらも、自分と同じように不埒な思いを秘めて戦いを挑んだものもいたことだろう。
いつもだったらそんな大それた事願うからだバーカとでも思っただろうが同じ状況に陥っているせいかそこらじゅうで
寝転がって唸っている兵士達に同情と仲間意識が芽生える。
「槍術ならいいですよ、コイツと俺対おじ上で。」
「えっ・・?」
「いいだろ?」
戸惑うケ芝を有無を言わせない目で関興は見ているが、しかしいくらなんでも槍は自分の一番の得意の武器だ。
実力は測ったことはないが蜀きっての武将の一人と言われる関興と自分の二人がかりで趙雲を倒しにかかるなど
さすがに危険ではないのか?
「嫌かケ芝?」
「いや、さすがに危険じゃないかー・・?」
「では張苞も呼んでこよう。それでいいか?」
その言葉にケ芝はほっと息をついた。それならいいだろう。首を縦に振ると、さっそく張苞が呼ばれた。
「・・・手合わせったって、俺痛いの嫌なんだが。」
しばらくもしないうちに関興に連行され口をヘの字に曲げた張苞が嫌そうに鍛錬場へと入ってきた。
「すまないね張苞。」
「まぁまぁ、今回は使えるかわかんねぇけどコイツいるしおじ上がやりたいってんだ。ちょっとくらいいいじゃねぇか
減るもんじゃなし。」
「いいけど・・・・最初から本気で行けよケ芝」
「あ?あぁ・・・。」
なんだろう、なんか会話がおかしい。ケ芝は首を捻るもどうやら疑問を感じているのは自分だけらしい。
「じゃ、始めるか。」
壁にかかっていた槍をそれぞれ手に持つ。最初から本気を出せと言われたのでケ芝は思い切り張苞の腹を
目掛けて鍛錬用に刃を潰してある槍を鋭く突き出した。
「のうぁっ!!?」
「ちょ、何やってんだこの阿呆!いきなり裏切る奴があるか!」
唸りを上げる槍を間一髪で避けた張苞はそのまま体勢を崩し床に転げた。それを見て驚きつつも叱咤したのは関興だ。
「ケ芝、いきなり仲間割れかい?」
意味がわからないと益々目が点なケ芝に趙雲は面白そうにアハハ!と声を上げて笑っている。
「え?」
「てめぇふざけんなよ、恩を仇で返しやがって!」
転んでしまった恥ずかしさからか珍しく張苞に責められケ芝はハテナが浮かぶばかりである。
「お前本当に馬鹿だろ、張苞は俺達の味方。敵はおじ上一人!流れでわかっだろ!つーかお前俺との二人で
おじ上に勝てる気か!?」
「えぇ!?」
「阿呆!」
二人から詰られるもようやく理解できてケ芝は困惑に眉を下げた。二人がかりでは危険だといったのに何故三人がかりに
したのだ。てっきり関興・ケ芝対張苞・趙雲だと思ったのに。
しかもどうやら三人がかりでもそれぞれが本気を出さなければ痛い目を見ると言うのだ。
体術でも見事だったが・・・・そんなに強い人だったのか。
ケ芝はなんだかがっくりしつつも、まだ負けたわけではないと戦いを挑んだのだった。
「いつでも来なさい。」
趙雲は余裕顔で悠々と槍を構えている。
それに一番に攻撃したのは関興である。趙雲は音も無く避けると続いて繰り出してきた張苞の槍を受け止め
弾き返した。なるほど、これは本気でかからないといけないな。そう思ったケ芝も槍を構えた時
「一番に私を倒したやつには褒美をやろう。」
笑顔でそう言う趙雲にケ芝はやる気の炎がめらりと燃え上がった。どれほどかというと、張苞に「お前単純すぎ」
と呆れ声で言われたほどである。
ご褒美にちゅう。ご褒美にちゅう。ケ芝は欲望に燃えながら関興の攻撃を避けて隙のある趙雲に向かって素早い
払いを繰り出した。
「おぉ、やっとケ芝もやる気になったな、その調子だ」
趙雲はひょいと飛んでそれもかわすと槍を振り下ろしてきた。
「ぐっ!!!」
受け止めたその手が痺れる。そう重くは無かったがそれほど早かったということなのだろう。
張苞が横から遮るように入ってくれたのですぐに態勢を立て直す事が出来、攻撃に戻った。
一合二合、三合ー・・・八合、九合・・
三人の絶え間ない攻撃を払ったり避けたり、時には攻撃して相手をしていたのだが、徐々に押され
とうとう槍を弾き飛ばされてしまった。
「おみごと!いい連携だ。」
楽しそうにそう言う趙雲目掛け関興の槍が降ってきた。
「・・・っ危ない!将軍!」
ケ芝は思わず趙雲を手で後ろに隠すと立ちはだかって槍で受け止めた。
その時、首にひやりとした感触があった。
「ありがとう、ケ芝。いい子だね」
後ろから趙雲が拾い上げた槍の刃先をケ芝の首筋に当てたのだった。
「はい、ケ芝脱落。」
「え?え?」
「本当馬鹿だなお前!俺が本気でおじ上に当てるわけねぇだろがっ!もう少しで勝てたのに!」
後ろでは関興が地団太を踏んで悔しがっていた。馬鹿野郎、悔しいのは俺だ。咄嗟とはいえかばったせいで
一生に一度の好機を逃してしまったのだ。
床に突っ伏して嘆くケ芝の脇腹に関興張苞は蹴りを一発ずつ見舞っていたが、その後そっと近づいてきた
趙雲に
「さっきはありがとう、お前なら戦で背中を預けられるよ。」
と、頭をぽんぽんと軽く撫でられながらそう言われた。
足音が遠ざかり、やがて趙雲は出て行ってしまったが、ケ芝はつっぷしたまま鼻血が流れるのも気にせず呆然と
固まっていた。
あとがき
なんかわんこ通り越して獣になってきましたね、危ない危ない。気をつけようっと(ケ芝も私も
武人としては背中を預けられるって最高の誉め言葉だと思うんですよね、そして趙将軍はケ芝なら
背中合わせで戦ってくれると思います。見たい!