絵姿
書簡を御盆に重ねながら諸葛亮は思い出したように振り返った。
「趙雲殿、この前の絵姿の件ですがー・・」
「絵姿・・あぁ、先月絵師を呼んだあれですか。」
趙雲は諸葛亮に出された白茶を啜りながらそんなことがあったと
思い出していた。
先月の末に諸葛亮が絵師を呼び
劉禅・諸葛亮・趙雲の三人それぞれの絵姿を描かせたのだ。
どうやら南蛮に同盟を求めるのに蜀の主な人物の姿とその武勇伝を
描いた物を贈り心をほだそうという作戦らしい。
敵に向けて、自国の将の武勇伝や創作した話を国民に流し
敵の恐れや動揺を誘うという策はよくあるが心をほだすためというのは
面白いと趙雲も思いのったのだ。
どうやらこちらが南蛮に対してよく知らない事から勝手に恐ろしく
野蛮であるという観念を持ってしまっているように
向うも漢民族に対して勝手な観念があるらしく
こちらもそちらと何も変わらない人間で、どういう人がいると
いう事を事前にわかってもらうために親書と共に送るそうだ。
「その絵姿が何か?」
諸葛亮はごそごそと棚を漁ると小さな紙切れを取り出し
趙雲に差し出した。
「これは私・・・ですね。」
小さな紙の中で絵姿の趙雲は儚げにかすかに微笑みかけている。
「えぇ、しかし幾ら心に訴えるとはいえこれではあまりに迫力が無い
嘗めてかかられては困るのでもう少し凛々しい表情を描いてもらい
そちらを送ることになりましたので、これは本人である趙雲殿に
お渡しします。」
趙雲はその言葉に口をへの字に曲げた。
自分の姿など貰っても嬉しいわけないではないかと諸葛亮に
突き帰した。
「おや、いらないので?誰かに無事の一言でも添えて
贈ってあげたらいかがです」
「しかし私にはもう親戚すらいませんし・・」
一瞬あの子に送ろうかとは思った。
若かりし頃故郷で恋い慕った影絵師の娘。
可憐で控えめで優しく、彼女の作る飯は本当に旨かった。
人生の中であんなに穏やかな時を過ごした事は無いし
淡い思いを抱かせてくれた彼女。
しかしもう彼女は自分を待っておらず他の男と結婚し
孫もできているだろう。約束を果たせなかった自分を
恨んではいないだろうか?
それにこれを送ったことで万が一彼女の家族間に亀裂を
生むようなことになってしまっては申し訳が無いし
この長い年月の間に彼女への恋慕は擦り切れてしまった。
「・・・・やはり、私には全くの不要のもの。諸葛殿さえよければ
もらってくれ、煮るなり焼くなりお好きに。」
穏やかに差し出された絵姿と言葉に
諸葛亮はふむ、と少し考え受け取った。
「ならば、ありがたく。」
諸葛亮は懐に受け取った紙を入れ
自室へと戻る趙雲を見送った。
趙雲の姿が回廊の向うへ消えると机へ戻り
さて・・と優れた頭脳で考える。
「・・・・・・そうするか。よし、誰かいるか?」
「はい、丞相閣下ここに」
「ケ芝を呼んできてくれ」
「只今。」
文官にしてはすらりとした男は猫のように音も無く丞相府から滑り出て行った。
「・・・あいつは隠密暮らしが長すぎたな、あれじゃ逆に不審だ」
あいつと一緒に呉に行かせるかな・・・
「おい」
しかし魏の動向ももう少し知りたい・・
「おい丞相」
曹嬰がまたなにか仕掛けそうな気配が
「諸葛亮!!」
「あ?あぁすまない気がつかなかった。早いな」
目を上げるとケ芝が不審げな目でこちらを見下ろしていた。
「・・・まだ耄碌していないぞ。」
「そこまで思っていません」
じゃあどこまで思っていたんだと諸葛亮は
溜息をついた。表情も正直なら口も正直な男だ。
やはり、あいつも連れて行かせるか。
「なぁケ芝」
「なんですか」
また文官仕事を押し付けられるかと思うとケ芝の声に自然に
険が浮かぶが、目の前の男は予想だにしなかった事を
まるでおつかいを頼むかのように告げた。
「ちょっと来週から呉へ行って来てくれ」
「呉・・ですか?何をしにです」
「魏と呉を断行させてきてくれ」
「・・・・・・はぁ!?俺がですか!」
笑みを浮かべさらりと言う諸葛亮にケ芝は目を見開き
驚愕した。これが丞相でなければ殴っていたかもしれない。
ただでさえ夷陵の戦い以降蜀と呉の仲は最悪だと言うのに。
いや待て待て冷静になれ。
「またそんなご冗談を・・」
「生憎私は冗談を言ってるほど暇ではなくてね。」
「・・・・ソウデスカ。」
「それで蜀との修好も回復してきてくれ」
「はぁあ!?蜀は今や呉主に嫌われ見捨てられたと
聞きましたが・・」
「だから、回復してもう一度和平条約を結んできてくれ。」
「だから!さらりと言わないで下さい何故なんですか
丞相が行かれた方がよほどか上手くいくと思いますが!?」
冷や汗を滲ませながら必死で言い募るケ芝だが諸葛亮は
終始ニコニコしている。その笑みがまた怖い。
「私は他にもやる事が多くてね、大丈夫ケ芝は県令も太守も
そつなくこなしたじゃないか、今回の和平・断行が
上手くいったら尚書に昇進させてあげるから」
「俺は!文官仕事がしたいわけではないんです!
武官としてこの国を支えたいんです」
机をバンと叩きながら目を吊り上げるケ芝だが
そんな軽い脅しで諸葛亮が引くわけが無かった。
「そう、それだ。文官も武官もそつなくこなし人並み以上の成績を上げる。
今回呉に使者に行く人員はなるべく少数にしたくてね、しかし安全に
いけるとは思えないから、途中襲われても大丈夫だろう
お前を選んだんだ、おめでとう。」
ケ芝は苛々と頭を掻き毟った。
なにがおめでとうだ!行きたくねぇっつってんだろ!
怒りが爆発寸前のところで、諸葛亮が懐から何かをチラリと出し
すぐひっこめた。一瞬だったが、何かすごく心を惹かれた。
「い、今の・・・」
「行ってくれるなら、これを前金としてあげようと思っているのだが・・」
「も、もう一度見せてください。」
「行くか?」
「それはー・・・」
ケ芝が渋っていると、もう一度諸葛亮は一瞬出した。
今度は見えた、はっきりとではないが憧れのあの人が。
「行きます。」
「そうか、そう言ってくれると思っていた。期待しているぞ」
ケ芝はがっくりと項垂れ自身の敗北を噛み締めた。
こんな簡単に釣られてしまうとは・・
「期限はいつまででしょうか?」
「和平・断行が成立すれば明日にでも帰ってきていい」
「と言う事は?」
「両方達成するまで蜀の地を踏めると思うなよ?」
俺の馬鹿ぁぁぁぁぁあああああ!!!
ケ芝は泣き崩れそうになる足を叱咤し目の前で
終始ニコニコしている性質の悪い老人を睨み据えた。
「共にお前を呼びに行かせたあいつもつけてやるから、困った事があれば
遠慮なく使え。あと色々譲歩した文書も持たせてやるし、いつもの
青龍・白虎の書も用意してやる。後は言葉で説き伏せろ」
まるで余命を宣告されたように落ち込むケ芝に
はい、と諸葛亮は約束の物を握らせて丞相府から
追い出した。やっぱりやめると言われてはかなわないからだ。
「・・・・・。」
ケ芝の手の中では趙雲の絵姿が儚げな微笑を浮かべていた。
「・・・これであの条件さえなかったら、大喜びだったんだがな」
しかしこれがあれば遠い呉の地でも彼の姿が眺められる。
それだけが唯一の心の救いのように感じた。
「・・・しかし穏やかな顔だな、いつも凛々しい顔してるから・・
戦など無い世界だったら、本来はこういう顔して過ごしていたんだろうな・・。」
そう思うと、なんだか苦しくなって溜息が洩れた。
「・・・・しょうがない、やってやるか。」
ケ芝は大事に姿絵を懐に仕舞った。
その後正式に使者への任命が下り
ケ芝の腹をくくった様子に諸葛亮は今度こそ本物の笑みを浮かべた。
「正直、断わられるのではないかと思っていた。お前ならやれるから
頑張って来い。幾らでも補佐はしてやるさ」
「ありがとうございます。」
ケ芝は堅い表情ながらもしっかりと頷きをかえしたのだった。
任命式も終わり荷造りも済みさぁ後は行くだけとなった頃
「・・・・あれ?」
ケ芝は懐に姿絵が無いことに気がついた。
「どうしました?」
供につく男が無表情で尋ねるが、趙将軍の姿絵無くしたなど
言えない。
「ちょ、ちょっと忘れ物が・・はは、すぐに取ってくるから門のところで
待っていてくれ」
「わかりました。」
あー・・何に対しても興味が希薄そうな男で助かった。
ケ芝は最後に姿絵を眺めた自室にあるだろうと高を括り
部屋へと走った。
そのころ姿絵はというと
「叔父上ー。」
「おや関興、ケ芝の見送りに行ったんじゃなかったのか?」
「それが来る途中で叔父上の姿絵見つけたから、届に来た。」
「おや、それは・・・ありがとう関興」
「どういたしまして」
頭を撫でられ、子ども扱いだと思うも叔父にいい子だ。と
言われると嬉しくなって反論できない。
「じゃあ、早くお行きなさい。ケ芝が行ってしまうよ」
「はい」
趙雲は姿絵を受け取ると自室の椅子に座った。
確かこの姿絵は諸葛亮に以前いらないからとあげたものだ
それが何故落ちていたのかは知らないが、捨ててしまおうか。
外からはケ芝を見送る人々の喧騒が聞こえてくる。
趙雲は自然と深い息を吐き出していた。
一方、話は戻ってケ芝は、自室で半べそかいて
部屋中ひっくり返して必死に探していた。
「ない、ない・・ないーーーー!何故だぁぁ!」
書の間、部屋の片隅、そんな所にあるはずもないのに。
「生きて戻れるかすら判らないのに趙将軍ももう見れない
なんて死んでも死にきれねぇー!!」
ケ芝は床に突っ伏して嘆いた。簡単に釣られてしまう自分が
心底恨めしい。
「・・・・しょうがない、本物で補給していこう。」
本当は行きたくなくなるから会いたくは無かったが
もう既に行きたくなくなっているのだから関係無い。
あわよくば手を握らせてもらおうとケ芝は
趙雲の部屋へ向かう。見送りの一団にいなかったのは
確認済みだ、悲しいが今は一人でいてくれるほうが好都合である。
控えめに扉を叩くと
「・・・・はい」
趙雲の心地よい声が返ってきた。
「−・・ケ芝です、入ってもいいですか?」
すると勢いよく扉が開かれ、ケ芝は驚きに少し目を見開いた。
「どうぞ。」
気前よく迎えてくれる趙雲に感謝しつつ、控えめにお邪魔しますと
呟いて室内に入った。
「もう、行く時間じゃないのかい?」
そう言いつつも趙雲は叱るようでなく微笑を浮かべていた。
「そうなんですが・・・」
来たはいいがなんと言おうと逡巡していると、趙雲がフと笑った。
「私はね、お前が来るのを待っていたんだ。」
「え?」
「もう時間が迫っているし、もしや私に会わずに行ってしまうのではないかと
思っていたんだ。」
少し恥ずかしげに告げる趙雲に、ケ芝はドキドキしつつもどういう事だろうと
首を捻った。
「おや、会わずに行くつもりだったのか。」
「あ・・・その・・」
「・・・・そうか、ではやはり私の己惚れだったようだ。今のは忘れて欲しい。」
「はぁ・・」
気落ちしたように寂しげに呟く趙雲の様子が理解できなくて
ケ芝は困惑を隠しきれずおろおろと助けを求めるように辺りを見回した。
すると、
「あった!!」
机の上にあった趙雲の姿絵に飛びついた。
あった、よかった。まさかこんなところにあるとは。
ほーっと安堵の息をつきながら懐に仕舞うと、気分も上昇してきた。
よし、これでがんばれると後ろを向くと
目をまん丸にした趙雲と目が合った。
「え・・・と、あの・・・これは・・・」
本人にどう言い訳をしたものか。今の自分の行動に
何と名づければ彼は納得してくれるだろう?もちろん素直に言う気は無い
最後の最後に気持ち悪がられてはたまらない。
「あのですね、これは・・・その・・」
しかし頭が真白で言葉が出てこない。
すると趙雲はおかしそうに笑いながら歩み寄ってきた
「なんだ、やはり己惚れてよかったんじゃないか。」
「え?あ・・・」
ちゅ、と音がして我に返った。
彼は、今ー・・・自分に・・・
「行ってらっしゃい、待っているから早くに戻って来るんだぞ
私だってこれ以上長生きできるかわからないからね。」
番犬がいないしね?
と絵姿に負けない微笑みを浮かべると趙雲はケ芝から離れた。
ケ芝はまるで人形のように固まり、呆然としている所を
文官風の男に引き摺られて旅立っていった。
修好・断行を成し遂げ、呉主から褒めちぎられ蜀へと
意気揚揚と戻って来るのは、近い未来である
*あとがき*
なんか絵だけだったのに文章つけたら予想の3倍は長くなってしまいましたヒェー!
とりあえずおっさん、サーセン!好き放題したけどよかったですかー??;
灰色がおっさんで茶色がアツコです。